IP Case
特許法・実用新案法 関連判決
平成26年(行コ)第10004号

キノキサリン-ピペラジン誘導体事件

真意と異なる内容を記載した手続補正書
管轄:
判決日:
平成27年6月10日
事件番号:
平成26年(行コ)第10004号
キーワード:
真意と異なる内容を記載した手続補正書

第1 事案の概要


被控訴人らは,共同出願に係る特願2007-542886号(以下「本件特許出願」という。)の審査において,誤って真意と異なる内容を記載した手続補正書(以下,これに係る補正を「本件補正」という。)を提出した。担当審査官は,本件補正を前提として特許査定(以下「本件特許査定」という。)をした。

本件は,被控訴人らが,本件特許査定には,担当審査官が本件補正の内容について審査をせずに査定をしたか,被控訴人らの真意と異なる内容の手続補正書であることを看過し,実質的な審査をしなかった重大な瑕疵があるなどと主張して,

  1. 主位的に,①本件特許査定が無効であることの確認を求めるとともに,これを前提として,②本件特許査定の取消しを求めて被控訴人らがした行政不服審査法(以下「行服法」という。)に基づく異議申立てについて,特許庁長官が,本件特許査定はその対象にならないから不適法であるとしてした却下決定(以下「本件却下決定」という。)の取消し,及び③特許庁審査官に対して本件特許査定を取り消すことの義務付けを求め,

  2. 予備的に,①本件特許査定の違法を理由とする同処分の取消し,これを前提とする②本件却下決定の取消し,及び③特許庁審査官に対して本件特許査定を取り消すことの義務付けを求める事案である。
    原審は,本件特許査定の担当審査官には,本件補正が被控訴人らの真意に基づくものであるかどうかを確認すべき手続上の義務があったにもかかわらず,これを怠った重大な手続違背があるとし,かかる瑕疵をもって本件特許査定が無効であるとは認められないものの,本件特許査定は違法として取消しを免れないとし,被控訴人らがした上記異議申立ては適法であるから,これを不適法とした本件却下決定は誤りであり,本件特許査定取消しの訴えは出訴期間を遵守しているなどとして,主位的請求のうち本件特許査定の無効確認(上記(1)①)及びこれを前提とする本件却下決定の取消しを求める部分(上記(1)②)に係る請求をいずれも棄却し,予備的請求のうち本件特許査定の取消し(上記(2)①)及びこれを前提とする本件却下決定の取消し(上記(2)②)を求める限度で,被控訴人らの請求を認容した。なお,主位的請求及び予備的請求とも,特許庁審査官に対して本件特許査定の取消しの義務付けを求める部分(上記(1)③及び(2)③)に係る訴えは不適法であるとして,いずれも却下した。
    控訴人は,原判決が被控訴人らの請求を一部認容した部分(上記(2)①及び②)を不服として控訴した。
    被控訴人らは,原判決が被控訴人らの訴えを却下ないし請求を棄却した部分(上記(1)①ないし③及び(2)③)を不服として附帯控訴をするとともに,当審において,主位的請求及び予備的請求のうち義務付けの訴えに係る部分(上記(1)③及び(2)③)について,本件特許査定の取消しを義務付ける行政庁を「特許庁審査官」から「特許庁長官」に変更した。なお,控訴人は,この変更につき異議なく応訴し,変更後の各訴えの却下を求めた。


第2 前提事実


1.本件特許出願


本件特許出願に係る特許請求の範囲の請求項1の出願当初の記載は次のとおりである。『下記化学式1で表される1-[(6,7-置換-アルコキシキノキサリニル)アミノカルボニル]-4-(ヘテロ)アリールピペラジン誘導体又は薬剤学的に許容可能なそれらの塩。



前記化学式1において,X及びYは各々NまたはC-Rであり,R及びRは各々水素原子,C-Cアルコキシ,C-Cアルキルまたはハロゲンであり,RはC-Cアルキルであり,R,R,R及びRは各々水素,C-Cアルコキシ,C-Cアルキル,C-Cハロアルキル,C-Cアルキルカルボニル,ハロゲン,シアノまたはニトロである。』

2.拒絶理由通知・手続補正書の提出等


担当審査官は,平成22年7月20日,同月8日起案に係る本件特許出願についての拒絶理由通知書を発出した。被控訴人らは,平成23年1月20日,特許庁長官に対し,本件特許出願に係る手続補正書及び意見書を提出した。

3.拒絶査定・拒絶査定不服審判請求等


担当審査官は,平成23年2月14日,前記2の補正後の本件特許出願について拒絶査定をした(本件拒絶査定)。被控訴人らは,平成23年6月20日,特許庁長官に対し,本件拒絶査定につき拒絶査定不服審判を請求するとともに,本件特許出願に係る手続補正書(本件補正書)を提出した(本件補正)。本件補正により,請求項1の記載は次のとおりのものとなった。
『下記化学式1で表される1-[(6,7-置換-アルコキシキノキサリニル)アミノカルボニル]-4-(ヘテロ)アリールピペラジン誘導体又は薬剤学的に許容可能なそれらの塩。(化学式1~省略~)
前記化学式1において,X及びYは各々NまたはC-Rであり,はフッ素であり,Rは塩素であり,RはC-Cアルキルであり,・・・(省略)・・・ただし,R及びRが同時に水素原子であることはない。』
前記補正は,「Rはフッ素であり,Rは水素原子,C-Cアルコキシ,C-Cアルキルまたは塩素であり」と補正すべきところを,担当弁理士が誤って「水素原子,C-Cアルコキシ,C-Cアルキルまたは」の部分を削除して本件補正書を作成したことによりされたものであった。

4.本件特許査定


担当審査官は,同年10月31日,原査定を取り消し,本件補正後の本件特許出願につき本件特許査定をし,原告らは,同年11月7日,本件特許査定の謄本の送達を受けた。

5.行政不服審査法による異議申立て


被控訴人らは,平成24年1月6日,行服法に基づき,特許庁長官に対し,本件特許査定を取り消す旨の決定を求める異議申立てをした(本件異議申立て)。
異議申立ての理由において,原告らは,審査官は,実際にされた補正の内容が真実は出願人と合意に至ったものではなく,審査官自らがその進歩性を認めた本願発明の化合物10が包含されない記載内容であるにもかかわらず,出願人と合意した内容のものであると誤信し,特許査定したものであるなどと主張し,審査官又は審判官が錯誤により特許査定した場合に,特許庁サイドの職権で取り消す場合があることを指摘した。
特許庁長官は,同年4月26日,特許査定について行服法により異議申立てをすることは,特許法195条の4及び行服法4条1項に違背し不適法であるとして,同法47条1項を適用し,本件異議申立てを却下する旨の決定(本件却下決定)をした。

第3 裁判所の判断


1.本件特許査定の取消しの訴えの適法性について


法における「査定」の用法,法195条の4の規定の制定経過等に照らして,「査定」の文言は文理に照らして解することが自然であり,このように解しても,特許査定の不服に対する司法的救済の途が閉ざされるものではないこと,特許査定に対し,司法的救済のほかに行政上の不服申立ての途を認めるべきかどうかは立法府の裁量的判断に委ねられており,その判断も不合理とはいえないことからすれば,法195条の4の「査定」が拒絶査定のみに限定され,あるいは,処分に審査官の手続違背があると主張される場合の特許査定はこれに含まれないと解すべき理由があるとは認めることができない。
そうすると,法195条の4の規定により,本件特許査定に対して行服法による不服申立てをすることは認められないから,本件異議申立ては不適法なものであって,これを前提として,本件訴訟における本件特許査定の取消しの訴えについて行訴法14条3項の規定を適用することはできない。・・・よって,本件特許査定の取消しの訴えは,行訴法14条1項の定める出訴期間を徒過して提起された不適法な訴えであるといわざるを得ず,却下を免れない。
したがって,予備的請求に係る本件特許査定の取消しの訴えについて,出訴期間を遵守した適法な訴えであるとした原判決は,取消しを免れない。

2.本件特許査定の無効事由の有無について


<本件補正の錯誤無効に関する被控訴人らの主張について>

  1. 出願に関する書面についての錯誤とその主張の許否等について
    本件においては,被控訴人らの担当弁理士により,被控訴人らが意図していたところとは異なる補正内容を記載した手続補正書が特許庁に提出され,これに基づいて本件特許査定がされたものであるところ,被控訴人らは,本件補正について,いわゆる表示上の錯誤があったとし,このような錯誤に基づく本件補正は無効であり,無効な補正を前提とする本件特許査定も無効であると主張する。
    出願に関する書面の記載内容が作成者の真意と異なるとされる場合,そもそも錯誤無効の主張が許されるのかどうか,また,そのような書面を前提とする特許査定の効力をどのように解するかは,法において,このような錯誤に対する救済手段についての特別の定めを置いているかどうかを検討し,何らかの救済手段が定められているのであれば,その規定の趣旨,目的,内容等を検討し,法の規定に照らし,上記主張の許否や限度が判断されるべきである。
    ア 法が,願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面について,補正の途を認めつつ,補正のできる時期や範囲について,・・・制限を設けているのは,先願主義(法39条)の下,可能な限り早期の出願日を確保する必要があることによる明細書等の作成における時間的制約や,出願人の不慣れなどにより当初から完全な明細書等を作成できない場合も考えられることなどを踏まえ,発明を適切に保護するためには補正を認める必要がある一方,補正が出願時への遡及効を持つことから,無制限に明細書等の補正を許すと,先願主義に反し第三者の利益を害する上,特許庁の審査においても,その都度,先行技術調査や特許性判断を行う必要から審査の負担増大及び遅延が生じ,手続の複雑化及び混乱化を招来することになりかねず,さらに,当初から完全な明細書等の作成に努めている者との間で不公平となることなどから,手続の効率化や出願人と第三者の利益の調整等の観点に照らして,一定の時期的制限及び内容的制限の下で明細書等の補正を許すこととしたものと解される。

    また,特許法が特許権成立後の明細書等の訂正を認めつつ,その範囲について上記のような制限を設けているのは,登録後に無効理由を含んでいることが発見されたり,記載に誤りがあったり,記載が明瞭でないことが判明することもあることから,これらに対処するための手段を特許権者に認めつつ,既に権利内容がいったん確定していることから,第三者に対して不測の損害を与えることのないよう,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものであってはならないとされているものと解される。

    イ このように,法は,手続に当たり書面主義を採用しており,書面の記載内容はその提出者の意思を反映しているものとして取り扱われること,一方,書面の記載の不備を補充・修正する手段として明細書等の補正や訂正の途を認めつつ,その範囲等について制限を設けていることに照らせば,法は,補正や訂正の手続において認められた限度においてのみ,書面の記載の不備の補充・修正を許容しているものと解すべきである。

    ウ そして,上記イのことは,書面の記載内容と,その書面の提出者の真意との間に齟齬がある場合も同様であると解される。法の定める補正や訂正の手続によって対処することができないにもかかわらず,書面の記載内容と真意との間に不一致があるとして,いったん提出された書面の記載内容を真意に沿うように改めることは,手続の効率化や出願人と第三者の利益の調整等の観点から,補正や訂正の途を限定的に許容した趣旨を没却するものであり,法の許容しないところというべきである。

    この点は,法において,手続の局面を問わず最低限許容される補正や訂正の類型として,「誤記の訂正」が定められていることからも明らかといえる。すなわち,「誤記の訂正」とは,本来その意であることが明細書等の記載等から明らかである場合に,誤りを意味本来の字句に正すこと,あるいは,錯誤により本来の意を表示していないものとなっている記載を,本来の意を表す記載に訂正することであるから,これは,出願人が,錯誤により,その真意と異なる記載をした場合に,その誤りであることが他の記載から明らかであり,実質上特許請求の範囲の拡張又は変更とならないものに限って,真意に沿う記載に改めることを許容するものということができる。そうすると,法は,出願人が,錯誤により,その真意と異なる記載をすることがあり得ることを想定しつつ,その補正や訂正が許容される限度を上記のとおり定めたものと解される。
    したがって,法は,その限度を超えるものに対して,補正や訂正を許容するものではないというべきである。

  2. 本件補正書の記載は錯誤により無効となるか
    ア 以上のとおり,法は,書面主義の下で,錯誤による書面の記載内容と真意との間の齟齬の是正については厳格な要件の下にのみこれを許容しているものといえるから,ある書面が,作成者の真意とは異なる内容の記載になっていたとしても,その真意を問わず,書面の記載に従って手続が進められるものであって,そのことは,我が国における特許出願,審査のルールとして,手続に関わる者において周知のことといえる。
    そうすると,仮に,真意と異なる記載について,法の規定によらずに,一般的な意思表示の錯誤を理由としてその効果を否定することができる余地があり得るとしても,それは,上記のような法の趣旨に照らしても許容することができる場合に限られるというべきである。そして,上記の法の趣旨を勘案すると,そのような錯誤が認められる場合としては,その齟齬が重大なものであることに加えて,少なくとも,当該書面の記載自体から,錯誤のあることが客観的に明白なものであり,その是正を認めたとしても第三者の利益を害するおそれがないような場合であることが必要であるというべきである。
    そこで,上記の観点から,本件補正書の記載内容について錯誤による無効が認められるか否かを,以下に検討する。
    イ 前提事実及び弁論の全趣旨によれば,本件補正書に記載された本件補正の内容は,被控訴人らが真に意図していたところとは異なるものであると認められる。
    しかしながら,本件補正書の記載内容は,補正前の特許請求の範囲を減縮しようとするものであって,同書面の記載上,特段の問題があるとは認められない。また,本件補正書と同時に提出された審判請求書の記載を見ても,同請求書には,「上記補正は,請求項1において,Rをフッ素に限定し,Rを塩素に限定し(特許請求の範囲の限定的減縮にあたります)・・・適法な補正です。」と,R及びRの組合せが明確に特定されており,この記載に照らしても,一見して本件補正の内容に疑義を容れる余地があるとは認められない。そうすると,本件補正書の記載については,上記のとおり,審判請求書の記載内容とも整合し,それ自体整ったものといえるから,その記載自体から,錯誤があることが客観的に明白なものと認めることはできないし,その是正を認めた場合に第三者の利益を害するおそれがないということもできない。
    したがって,被控訴人らに錯誤があったことを理由に,本件補正が無効であるということはできず,この点に関する被控訴人らの主張は,採用することができない

  3. 被控訴人らの主張について
    ア 被控訴人らは,本件補正が,本件拒絶査定において指摘された拒絶理由を解消していないこと,本願発明から化合物10を除外していること,実施可能要件,サポート要件及び明確性要件を充足しないという新たな拒絶理由を生じさせていること,担当審査官との電話面接において事実上合意した補正内容と著しく異なることからすれば,本件補正が被控訴人ら(担当弁理士)の過誤・誤記によるものであることが担当審査官に明らかであったとして,担当審査官が,本件補正の内容が被控訴人らの真意に沿うものであるかどうかを確認すべき義務を怠ったと主張する。

    イ しかしながら,前記(1)において検討した書面主義の考え方からすれば,書面の記載内容はその提出者の意思を反映しているものとして取り扱われるのであり,特許出願においては,願書や添付書類,補正書に記載されたところの特許出願が審査官による審査の対象となる。そうすると,審査官は,出願人の出願に係る上記書面に記載された発明が,特許要件を満たすかどうかを判断すれば足り,これを超えて,出願人の出願内容がその真意に沿うかどうかを確認すべき義務を負うものではないというべきである。

    ウ 被控訴人らは,さらに,担当審査官にとって,被控訴人らの上記錯誤が特に明白であったということのできる事情があるとして,本件補正が,本件拒絶査定において指摘された拒絶理由を解消していないこと,本願発明から化合物10を除外していること,実施可能要件,サポート要件及び明確性要件を充足しないという新たな拒絶理由を生じさせていること,担当審査官との電話面接において事実上合意した補正内容と著しく異なることなどを指摘する。
    しかし,上記指摘の内容は,多くは本件特許査定に係る審査自体に関わる問題というべきである。そして,・・・それらの主張を勘案してみても,本件補正書における本件補正の内容が,担当審査官において,錯誤によるものであることが明白なものであったと認めることができるような事情があったということはできない。
    したがって,被控訴人らの指摘する事情から,担当審査官において,本件補正が被控訴人らの真意に基づいていないことを知り,又は真意に基づいていないと疑うべきことが明らかであったということはできないから,同審査官が,被控訴人らが主張する確認義務を負うということはできない。

    エ よって,被控訴人らの上記主張は,いずれも採用することができない。


第4 結論


1.本件控訴について


被控訴人らの予備的請求のうち,本件特許査定の取消しを求める部分に係る訴えは不適法であり,本件却下決定の取消しを求める部分は理由がないから,本件控訴に基づき,これと異なる限度で原判決を取り消し,本件特許査定の取消しを求める訴えについてはこれを却下し,本件却下決定の取消請求についてはこれを棄却することとする。

2.本件附帯控訴について


被控訴人らの主位的請求及び予備的請求のうち,当審における訴えの変更後の本件特許査定の取消しの義務付けを求める部分に係る訴えは,不適法であるからこれをいずれも却下することとし,被控訴人らの主位的請求のうち,本件特許査定の無効確認及び本件却下決定の取消しを求める部分はいずれも理由がないから,被控訴人らのその余の本件附帯控訴を棄却することとする。

2016年2月2日
エスエス国際特許事務所

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