IP Case
特許法・実用新案法 関連判決
平成25年(行ケ)第10248号

排気ガス浄化システム事件

刊行物に記載された発明、技術的思想
管轄:
判決日:
平成26年5月26日
事件番号:
平成25年(行ケ)第10248号
キーワード:
刊行物に記載された発明、技術的思想

第1 事案の概要


1.特許庁における手続の経緯等


原告は,名称を「排気ガス浄化システム」とする発明につき,特許出願(特願2008-103684号)をしたが,平成24年7月17日付けで拒絶査定を受けたので,同年10月17日,これに対する不服の審判を請求するとともに,同日付け手続補正書により特許請求の範囲の変更を含む手続補正(本件補正)をした。特許庁は,本件補正を却下した上で「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は原告に送達された。

2.本件補正後の請求項1(補正発明)


【請求項1】(下線部は補正箇所)
排気ガスの空気過剰率(λ)が1を超えるときに窒素酸化物を吸収し,λが1以下のときに窒素酸化物を脱離するNOxトラップ材と,浄化触媒と,排気ガス中の酸素濃度を制御するO2制御手段と,を備える内燃機関の排気ガス浄化システムであって,
排気ガスのλが1を超えるとき,NOxを上記NOxトラップ材に吸収させ,
排気ガスのλが1以下のとき,上記NOxトラップ材からNOxを脱離させ,上記O制御手段で浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5vol%に制御することによりHCの部分酸化反応を誘発し,この部分酸化を利用してNOxを還元させる,ことを特徴とする排気ガス浄化システム。

3.審決の要旨


補正発明と引用例1(特開2003-311152号公報)に記載の発明(引用発明)との以下の相違点は,実質的なものではないから,新規性を欠き,また,以下の相違点を実質的なものと考えたとしても,補正発明は,引用発明に基づいて,本願の優先権主張日当時,当業者が容易に発明をすることができたものであるから,特許出願の際独立して特許を受けることができないものである。
【相違点】O制御手段で浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5%を含む濃度に制御するのに関して,排気ガス中の酸素濃度が,補正発明では,「0.8~1.5vol%」であるのに対して,引用発明では,2%以下であり,vol%であるか否かは明記されていない点。

第2 裁判所の判断


1.補正発明について


補正発明の目的とするところは,コンパクトな触媒を実現でき,NOxの還元浄化性能とHC(炭化水素)の酸化浄化性能を両立させ得る排気ガス浄化システムを提供することにあり,従来は完全燃焼させようとしていたHCを不完全燃焼させ,HCの部分酸化反応を誘発してHを発生させ,NOx還元に供することを骨子とする。
このように,HCを不完全燃焼させて部分酸化反応を誘発し,HC脱離とNOx脱離を所定条件下で同期させることとしたため,コンパクトな触媒を実現でき,NOxの還元浄化性能とHCの酸化浄化性能を両立させ得る排気ガス浄化システムを提供することができる。

2.引用発明の認定について



  1. 審決は,引用例1に記載された引用発明の認定の中で,HC及びNOx浄化率が高まるとの作用効果を奏する機序として,「HCが部分酸化されて活性化」されることを認定している。
    しかし,引用発明における,排気ガスの酸素濃度が低下したとき(リッチ燃焼運転時)に,「HCが部分酸化されて活性化され,NOxの還元反応が進みやすくなり,結果的に,HC及びNOx浄化率が高まる」という作用効果は,NOx吸収材と貴金属とを含む排気ガス浄化用触媒に追加した「Ce-Zr-Pr複酸化物」によって奏したものであって,排気ガスの酸素濃度を段落【0058】のように「2.0%以下,あるいは0.5%以下」となるように制御することによって奏したものではない。すなわち,「Ce-Zr-Pr複酸化物」は,前記作用効果を奏するための必須の構成要件であるというべきであり,排気ガスの酸素濃度を「2.0%以下,あるいは0.5%以下」となるように制御した点は,単に,実施例の一つとして,リーン燃焼運転時に「例えば4~5%から20%」,リッチ燃焼運転時に「2.0%以下,あるいは0.5%以下」との数値範囲に制御したにとどまり,前記作用効果を奏するために施した手段とは認められない。
    したがって,引用発明において,「HCが部分酸化されて活性化」されるのは,NOx吸収材と貴金属とを含む排気ガス浄化用触媒において,「Ce-Zr-Pr複酸化物」を含むように構成したことによるものであるから,引用例1に,「排気ガス浄化用触媒1の入口側の排気ガスの酸素濃度は2.0%以下に制御」(段落【0058】)することにより,HCの部分酸化をもたらすことを内容とする発明が,開示されていると認めることはできない。

  2. 被告は,引用発明の認定は,補正発明の特許要件を評価するために必要な限度で行えばよいものであって,引用例1自体で特徴とされる事項(例えば,請求項1に係る発明の発明特定事項)を必ず認定しなければならないというものではなく,引用発明の認定において,必ず「Ce-Zr-Pr複酸化物」が含まれていることまでも認定しなければならないことにはならないと主張する。
    確かに,特許法29条1項3号に規定されている「刊行物に記載された発明」は,特許出願人が特許を受けようとする発明の新規性,進歩性を判断する際に,考慮すべき一つの先行技術として位置付けられるものであって,「刊行物に記載された発明」が特許公報である場合に,必ず当該特許公報の請求項における発明特定事項を認定しなければならないものではない。一方で,「刊行物に記載された『発明』」である以上は,「自然法則を利用した技術的思想の創作」(特許法2条1項)であるべきことは当然であって,刊行物においてそのような技術的思想が開示されているといえない場合には,引用発明として認定することはできない。
    本件において,審決は,引用発明として,「HCが部分酸化されて活性化されNOxの還元反応が進みやすくなり,結果的にHC及びNOx浄化率が高まる」との効果を認定しておきながら,その作用効果を奏するための必須の構成である「Ce-Zr-Pr複酸化物」を欠落して認定したものである。したがって,審決は,前記作用効果を奏するに必要な技術手段を認定していないこととなり,審決の認定した引用発明を,引用例1に記載された先行発明であると認定することはできない。
    よって、被告の主張は採用できない。


3.補正発明と引用発明との相違点


補正発明と引用発明との相違点は以下のとおりとなる。
【相違点1”】
NOxトラップ材と浄化触媒に,補正発明は,Ce-Zr-Pr複酸化物を含んでいないのに対し,引用発明は,Ce-Zr-Pr複酸化物を含む点。
【相違点2”】
排気ガスのλが1以下のとき,補正発明は,浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5vol%に制御するのに対して,引用発明は,浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を2.0%以下,又は0.5%以下に制御した点。

4.新規性判断について


前記のとおり,NOxトラップ材と浄化触媒において,補正発明は,Ce-Zr-Pr複酸化物を含んでいないのに対し,引用発明は,Ce-Zr-Pr複酸化物を含んでいる点において相違する(【相違点1”】)。
補正発明は,排気ガスの空気過剰率(λ)が1以下のとき,すなわち,リッチ燃焼運転時において,浄化触媒入口における排気ガス中の酸素濃度を0.8~1.5vol%に制御することにより,HCの部分酸化反応を誘発し,この部分酸化を利用してNOxを還元させるものである。
これに対し,引用発明は,NOxトラップ材と浄化触媒に「Ce-Zr-Pr複酸化物」を追加することにより,酸素吸蔵材におけるリッチ燃焼運転時の酸素供給能力を適度に低下させてHCを部分酸化させ,この部分酸化を利用してNOxを還元させるものである。
引用発明には,排気ガス中の酸素濃度を制御することにより,HCの部分酸化反応を誘発し,この部分酸化を利用してNOxを還元させる点は記載されておらず,この点が周知技術であるとも認められない。一方,本願明細書には,触媒に「Ce-Zr-Pr複酸化物」を追加するとの記載や示唆はなく,この点が周知技術であるとも認められない。したがって,補正発明が「Ce-Zr-Pr複酸化物」を備えたものを含むものと認めることはできない。
よって,補正発明は,上記相違点1”において,新規性を有すると認められ,これに反する審決の判断は誤りである。

5.進歩性判断について



  1. 引用発明は,従来の「Ce-Pr複酸化物」の場合,大量に酸素が放出され,リッチ雰囲気(還元性雰囲気)にならず,NOxの浄化が効率よく進まないという課題を解決するため,「Ce-Pr複酸化物」に「Zr」を追加して「Ce-Zr-Pr複酸化物」として,過剰に酸素が放出されてしまうことを避ける,すなわち,適度に酸素の放出を促すことにより,HCの部分酸化反応を行ったものであり,HCの部分酸化反応を可能とするのは,あくまで「Ce-Zr-Pr複酸化物」である。
    したがって,引用発明において,「Ce-Zr-Pr複酸化物」は作用効果を導くための必須の構成要件であり,引用発明の技術課題の解決手段として設けられたものであることからすれば,この発明から「Ce-Zr-Pr複酸化物」を取り除くと,発明の技術的課題を解決することにはならず,引用発明に接した当業者が,「Ce-Zr-Pr複酸化物」自体,あるいは,成分としての「Zr」を取り除くことを想起するとは考え難い。

  2. また,補正発明は,排気ガス中のO濃度を制御して,不完全燃焼を生じさせる,すなわち,HCの部分酸化により生じるHとCOにより,脱離NOxを有効に還元し,浄化するとの技術思想に基づくものであるところ,空気過剰率(λ)が1以下のときに,排気ガス中のO濃度が0.8vol%未満では,H及びCO生成量が不十分となり,HCの有効利用率向上効果が得られず,逆に,O濃度が1.5vol%を超えると,還元剤の酸化反応が優勢になり,有効な還元剤であるH及びCOが酸化反応により消費されることになり,さらにまた,浄化触媒がOによる被毒を受けて部分酸化反応活性が不十分となるとともに,NOxを還元できなくなるため,排気ガスのO濃度を0.8~1.5vol%の範囲内で行うとの構成をとったものであり,この数値範囲には技術的意義があるものである。
    一方,引用発明におけるHCの部分酸化は,「Ce-Pr複酸化物」に「Zr」を追加して「Ce-Zr-Pr複酸化物」としたことにより,スピルオーバー性を悪化させず,あるいは高温時のスピルオーバー性を高める一方,あえて,酸素吸蔵材の酸素吸蔵性能を適度に低下させることによって,過剰に酸素が放出されてしまうことを避けることで達成されるものである。したがって,補正発明と引用発明とは,部分酸化反応を生起させる技術思想が全く異なっており,引用発明において,相違点2”に示されるようなO濃度に係る数値範囲を適用しようとする動機付けがあるとはいえない。
    加えて,引用発明の段落【0058】には,リーン燃焼運転時における酸素濃度が「2.0%以下」の場合だけでなく,「0.5%以下」との記載もあることにも照らすと,引用発明の記載に接した当業者において,リッチ燃焼運転時における排気ガスのO濃度の下限を0.8%と設ける動機付けがあるとはいえない。


6.結論


以上によれば,補正発明が新規性及び進歩性を欠くとして、特許出願の際独立して特許を受けることができないとして本件補正を却下した審決の判断は、誤りである。
2015年6月5日
エスエス国際特許事務所

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