IP Case
特許法・実用新案法 関連判決
平成25年(行ケ)第10172号

渋味のマスキング方法事件

明確性要件、官能検査
管轄:
判決日:
平成26年3月26日
事件番号:
平成25年(行ケ)第10172号
キーワード:
明確性要件、官能検査

1.事案の概要


本件は,原告が,被告が有する本件特許(特許第3938968号、発明の名称「渋味のマスキング方法」)について無効審判を請求し,被告が訂正請求(以下「本件訂正」という。)をしたところ,特許庁が本件訂正を認めた上で「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をしたことから,原告が,その取消しを求めた事案である。

2.本件発明の要旨


本件訂正後の本件発明(訂正発明)の要旨は,下記のとおりである(下線部が訂正箇所)。
「【請求項1】
茶,紅茶及びコーヒーから選択される渋味を呈する飲料に,スクラロースを,該飲料の0.0012~0.003重量%の範囲であって,甘味を呈さない量用いることを特徴とする渋味のマスキング方法。」

3.裁判所の判断


<取消事由2(明確性要件についての判断の誤り)について>

  1. 審決は,「本件訂正特許明細書には甘味閾値の定義はされていないが,甘味閾値は,乙第15号証の記載(閾値の測定),乙第16号証の記載(アスパルテームの甘味閾値の測定),甲第10号証の記載(スクラロースの甘味の閾値測定)並びに乙第14号証の測定データ(スクラロースの甘味閾値が極限法で測定されている),被請求人の主張(口頭審理調書等)によれば,極限法により求められるものであり,濃度の薄い方から濃い方に試験し(上昇系列),次に濃度の濃い方から薄い方に試験し(下降系列),平均値を用いて測定するのが一般的であると認められることから,本件訂正特許明細書に具体的測定方法が定義されていなくとも,本件出願当時の技術常識を勘案すると不明確であるとまで断言することはできない。」と判断した。これに対し,原告は,甘味閾値の測定方法として,極限法以外にも恒常刺激法,調整法などの方法があるから,極限法が一般的であるとはいえず,また,極限法という同じ測定方法を用いても甘味閾値は変動するものであるから,訂正発明は,不明確であり,審決の判断は誤りである旨主張する。
    審決が引用した文献である甲10(審判甲10,「スクラロースの味覚特性と他の高甘味度甘味料との比較」),甲26(審判乙15,「新版 官能検査ハンドブック」),甲27(審判乙16,「新甘味料アスパルテームについて」)には,閾値の測定法として極限法が記載されていることからみて,「極限法」は,閾値の測定方法として広く一般的に用いられているものと認められ,また,被告が提出した実験報告書である甲25においても極限法が用いられている。
    しかし,甲51(「新版 官能検査ハンドブック」)及び甲52(「工業における官能検査ハンドブック」)には,閾値の測定法として,実験者あるいは被験者自身が刺激を一定のステップで徐々に変化させ,その1ステップごとに被験者の判断を求め,判断の切り替わる点を決定する「極限法」以外にも,実験者あるいは被験者自身が,刺激を任意に変化させながら,被験者に対し特定の感覚を与える刺激の値を探し出し決定する「調整法」や,一組の変化刺激を用意しておき,確率的に1つずつ提示し,それに対し被験者に予め定められた判断範疇のいずれかで反応してもらう「恒常刺激法」等が記載されており,閾値の測定法としては,極限法だけでなく,調整法,恒常刺激法等の複数の一般的な方法が存在していることが認められる。
    また,甲53(「甘味,酸味,塩から味,苦味刺激閾値の測定」)においては,「刺激閾値の測定法には,Aらの順位法による刺激テスト,調整法,極限法,1対比較法などが報告されているが,本実験ではPfaffmannらの1点識別法により行った。」と記載されていることから,甘味の閾値の測定に当たり極限法以外の方法を採用することもあることが理解できる。
    そうしてみると,甘味閾値は,他の方法ではなく極限法により測定するものであることが自明であるという技術常識が存在していたとまではいえず,訂正明細書における甘味閾値の測定方法が極限法であると当業者が確定的に認識するとはいえない。
    一方,甘味閾値の測定法は,人間の感覚によって甘味を判定する方法であって,判定のばらつきを統計処理し感覚を数量化して客観的に表現する官能検査の一種であり,適切な多数の被験者を用いることにより,主観的な判断や個人による差を極力抑えるものではあるが,一般に,官能検査とは,被験者の習熟度,測定法,データの解析法等により数値が異なるものであり,相互の数値の比較は困難であることが多いものと解される。
    そこで,スクラロース水溶液におけるスクラロースの甘味閾値が記載されている甲10及び甲54をみると,甲10では,初めにスクラロース溶液の薄い方から濃い方へ(上昇系列)試験した可知の刺激価と,次に濃い方から薄い方へ(下降系列)試験した不可知の刺激価の平均値より算出する極限法により評価した数値は,0.0006±0.00014%であったことが記載され,甲54(「PROGRESS INSWEETENERS」)では,41人の被験者の集団を使用して「上昇濃度系列の極限法」に従い評価したスクラロースの甘味閾値は,0.00038%w/vと記載され,同じ極限法を用いて測定したスクラロース水溶液の甘味閾値として,甲10と甲54とでは約1.6倍異なる数値を記載している。
    また,甲10と甲54は,水にスクラロースを添加したスクラロース水溶液において甘味閾値を測定したものであるが,本件明細書の段落【0013】に記載するように,飲料中のスクラロースの甘味閾値は,苦味などの他の味覚や製品の保存あるいは使用温度などの条件により変動するものであるから,各種飲料における甘味閾値を正確に測定することは,単なるスクラロース水溶液に比べて,より困難であると認められる。
    しかも,甘味閾値の測定は,人間の感覚による官能検査であるから,測定方法の違いが甘味閾値に影響する可能性が否定できないことは,上記のとおりである。
    そうすると,当業者は,同一の測定方法を用いた極限法によるスクラロース水溶液の甘味閾値であっても,2つの文献で約1.6倍異なる数値が記載されている上,訂正発明における各種飲料における甘味閾値の測定は,スクラロース水溶液に比べてより困難であるから,測定方法が異なれば,甘味閾値はより大きく変動する蓋然性が高いとの認識のもとに訂正明細書の記載を読むと解するのが相当である。
    したがって,甘味閾値の測定方法が訂正明細書に記載されていなくとも,極限法で測定したと当業者が認識するほど,極限法が甘味の閾値の測定方法として一般的であるとまではいえず,また,極限法は人の感覚による官能検査であるから,測定方法等により閾値が異なる蓋然性が高いことを考慮するならば,特許請求の範囲に記載されたスクラロース量の範囲である0.0012~0.003重量%は,上下限値が2.5倍であって,甘味閾値の変動範囲(ばらつき)は無視できないほど大きく,「甘味の閾値以下の量」すなわち「甘味を呈さない量」とは,0.0012~0.003重量%との関係でどの範囲の量を意味するのか不明確であると認められるから,結局,「甘味を呈さない量」とは,特許法36条6項2号の明確性の要件を満たさないものといえる。

  2. 被告は,「甘味閾値は,一般的で確立した試験方法である極限法によって測定できるものであり,他にもよく知られた試験方法が存在するからといって甘味閾値が不明確になるものではない。極限法でも恒常刺激法でも,試験の原理上,同等の結果が得られることは明白である。測定には,常に誤差が伴い,各条件に応じて適した測定方法が異なるという常識があるが,だからといってこれによって測定される物理量の値が不明確などということもない。したがって,訂正発明は,不明確ではない。」旨主張する。
    そこで検討するに,被告による試験結果である甲25には,訂正明細書の実施例4を追試した際のコーヒーにおけるスクラロースの甘味閾値は0.00169%と記載されており,この値は,訂正発明の「0.0012~0.003重量%」の範囲内の数値であるが,渋味のマスキング効果を確認したスクラロースの添加量は0.0016%であり,甘味の閾値と非常に接近している。
    そうすると,上記のように「0.0012~0.003重量%」の範囲に甘味閾値が存在する場合には,特に正確に甘味閾値を測定する必要があり,誰が測定しても「甘味を呈さない量」であるか否かが正確に判別できるものでなければならない。
    しかし,甘味閾値の測定は人の感覚による官能検査である以上,被告が主張するように,測定方法等が異なっても同等の結果が得られることは明白であるとする客観的根拠は存在せず,測定方法の違い等の種々の要因により,甘味閾値は異なる蓋然性が高く,被験者の人数や習熟度等に注意を払ったとしても,当業者が測定した場合に,「甘味を呈さない量」であるか否かの判断が常に同じとなるとはいえない。
    したがって,被告の主張は採用できない。

  3. 小括
    以上によれば「,『甘味を呈さない量』が訂正明細書に定義されていないことによっては,訂正発明は不明確であるとまで言うことができない。」との審決の判断には誤りがある。


4.結論


以上によれば,原告主張の取消事由2は理由がある。よって,審決を取り消すこととする。
2014年8月25日
エスエス国際特許事務所

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