第1 事案の概要(事件①)
1 .特許庁における手続の経緯等
被告(事件②における原告)は,発明の名称を「眼科用清涼組成物」とする特許出願をし,設定の登録(特許第5403850号)を受けた(以下、この特許「本件特許」という。)。原告(事件②における被告)は,特許庁に対し,本件特許の全ての請求項について特許を無効にすることを求めて無効審判を請求したところ(無効2015-800023号),特許庁は,審判請求は成り立たない旨の審決(第一次審決)をしたため,原告は,審決取消訴訟を提起した。
2.特許請求の範囲の記載
本件特許請求の範囲の請求項1ないし6の記載は,以下のとおりである(以下,請求項1ないし6に係る発明を「本件発明1」ないし「本件発明6」、これらを併せて「本件発明」、本件発明の明細書及び図面を併せて「本件明細書」という。)。
【請求項1】
a)メントール,カンフル又はボルネオールから選択される化合物を,それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満,
b)0.01~10w/v%の塩化カリウム,塩化カルシウム,塩化ナトリウム,炭酸水素ナトリウム,炭酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,リン酸水素二ナトリウム,リン酸二水素ナトリウム,リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種,および
c)平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物。
注;請求項2ないし5の記載は省略
第2 裁判所の判断(事件①)
1.取消事由1(「平均分子量」についての記載不備に関する判断の誤り)について
- 特許法36条6項2号は,特許請求の範囲の記載に関し,特許を受けようとする発明が明確でなければならない旨規定する。この趣旨は,特許請求の範囲に記載された発明が明確でない場合には,特許の付与された発明の技術的範囲が不明確となり,第三者に不測の不利益を及ぼすことがあり得るため,そのような不都合な結果を防止することにある。そして,特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載のみならず,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願時における技術常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべきである。
- 「平均分子量」という概念は,一義的なものではなく,測定方法の違い等によって,「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等にそれぞれ区分される。そのため,同一の高分子化合物であっても,「重量平均分子量」,「数平均分子量」,「粘度平均分子量」等の各数値は必ずしも一致せず,それぞれ異なるものとなり得る。
- 本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」等のいずれを示すものであるかについては,本件明細書において,これを明らかにする記載は存在しない。もっとも,このような場合であっても,本件明細書におけるコンドロイチン硫酸あるいはその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し,当業者の技術常識も参酌して,その平均分子量が何であるかを合理的に推認することができるときには,そのように解釈すべきである。しかし,本件においては,次に述べるとおり,「コンドロイチン或いはその塩」の平均分子量が重量平均分子量であるのか,粘度平均分子量であるのかを合理的に推認することはできない。
・・・本件明細書(【0021】)には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。・・・例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等),マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等が利用できる。」という記載がされている。・・・
そして,マルハ株式会社は,本件出願日当時,コンドロイチン硫酸ナトリウムの製造販売を独占する二社のうちの一社であって,コンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量を粘度平均分子量のみで測定し,ユーザー(当業者を含む。)から問い合わせがあった場合には,その数値(6千ないし1万程度のもの)をユーザーに提供していたのであり,マルハ株式会社のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として,同社のコンドロイチン硫酸ナトリウムを利用する当業者に公然と知られていた数値は,このような粘度平均分子量の数値であったと認められる。のみならず,本件出願日当時には,マルハ株式会社から販売されていたコンドロイチン硫酸ナトリウムの重量平均分子量が2万ないし2.5万程度のものであることを示す刊行物が既に複数頒布され,当該数値は,本件明細書にいう0.7万等という数値とは明らかに齟齬するものであることが認められる。これらの事情の下においては,本件明細書の「コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)」という記載に接した当業者は,上記にいう平均分子量が粘度平均分子量を示す可能性が高いと理解するのが自然である。そうすると,当業者は,本件特許請求の範囲の記載について,少なくともコンドロイチン硫酸又はその塩に限っては,重量平均分子量によって示されていることに疑義を持つものと認めるのが相当である。
したがって,当業者は,本件出願日当時,・・・コンドロイチン硫酸ナトリウムに限っては,直ちに重量平均分子量で記載されているものと理解することはできず,これが粘度平均分子量あるいは重量平均分子量のいずれを意味するものか特定することができないものと認められる。
以上によれば,本件特許請求の範囲にいう「平均分子量が0.5万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が,本件出願日当時,「重量平均分子量」,「粘度平均分子量」のいずれを示すものであるかが明らかでない以上,上記記載は,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であり,特許法36条6項2号に違反すると認めるのが相当である。
2.結論
以上によれば,「平均分子量」という本件特許請求の範囲の記載は,特許法36条6項2号の明確性要件に違反するものと認められるから,その余の点を判断するまでもなく,審決にはこれを取り消すべき違法があり,原告の取消事由1には理由がある。
第3 事案の概要(事件②)
1 .特許庁における手続の経緯等
上記第2の通り、知的財産高等裁判所は,第一次審決を取り消す旨の判決(以下「第一次判決」という。)をし,第一次判決はその後確定した。
原告(事件①における被告)は,本件特許について訂正を請求した(以下「本件訂正」という。)ところ,特許庁は,本件訂正を認めた上で本件特許を無効とする旨の審決(以下「本件審決」という。)をし,その謄本は原告に送達された。原告は,本件審決の取消しを求めて本件訴訟を提起した。
2.特許請求の範囲の記載
本件訂正後の特許請求の範囲請求項1の記載は,次のとおりである。以下,請求項1の発明を「本件訂正発明1」といい,本件訂正後の明細書を「本件訂正明細書」という。
【請求項1】
a)メントール,カンフル又はボルネオールから選択される化合物を,それらの総量として0.01w/v%以上0.1w/v%未満,
b)0.01~10w/v%の塩化カリウム,塩化カルシウム,塩化ナトリウム,炭酸水素ナトリウム,炭酸ナトリウム,硫酸マグネシウム,リン酸水素二ナトリウム,リン酸二水素ナトリウム,リン酸二水素カリウムから選ばれる少なくとも1種,および
c)平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩を0.001~10w/v%含有することを特徴とするソフトコンタクトレンズ装用時に清涼感を付与するための眼科用清涼組成物(ただし,局所麻酔剤を含有するものを除く)。
第4 裁判所の判断(事件②)
1. 取消事由1(明確性要件に係る認定判断の誤り)について
- 「平均分子量」の意義
ア 本件訂正後の特許請求の範囲及び本件訂正明細書には,コンドロイチン硫酸又はその塩につき単に「平均分子量」と記載されるにとどまり,これが重量平均分子量,数平均分子量,粘度平均分子量等のいずれに該当するかを明らかにする記載は存在しない。
もっとも,本件訂正明細書に記載された他の高分子化合物については,例えば,メチルセルロース・・・の平均分子量として記載されている各社の各製品の各数値は,重量平均分子量の各数値が記載されているものであり,この重量平均分子量の各数値は公知であったから,当業者は,本件出願日当時,これらの高分子化合物の平均分子量は,重量平均分子量を意味するものと解するものと推認される。
イ ・・・高分子化合物の平均分子量は,本件出願日当時には,一般に重量平均分子量によって明記されていたことが認められる。 - コンドロイチン硫酸又はその塩について
生化学工業株式会社は,平成16年より以前から,ユーザーからコンドロイチン硫酸ナトリウム製品の平均分子量について問合せがあった場合には,通常,重量平均分子量の数値を提供し,平均分子量約1万,約2万及び約4万とする製品についても重量平均分子量の数値を提供していた。これによれば,本件出願日当時,生化学工業株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として同社が提供していたのは重量平均分子量の数値であり,当業者に公然に知られた数値も,重量平均分子量の数値であったと認められる。 - 以上を踏まえて本件訂正後の特許請求の範囲の記載の明確性について判断する。
本件訂正明細書【0021】には,「本発明に用いるコンドロイチン硫酸又はその塩は公知の高分子化合物であり,平均分子量が0.5万~50万のものを用いる。・・・例えば,生化学工業株式会社から販売されている,コンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等)が利用できる。」と記載されている。
上記の「生化学工業株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約1万,平均分子量約2万,平均分子量約4万等)」については,本件出願日当時,生化学工業株式会社は,同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量について重量平均分子量の数値を提供しており,同社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として当業者に公然に知られた数値は重量平均分子量の数値であったことからすれば,その「平均分子量」は重量平均分子量であると合理的に理解することができ,そうだとすると,本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量も重量平均分子量を意味するものと推認することができる。加えて,本件訂正明細書の上記段落に先立つ段落に記載された他の高分子化合物の平均分子量は重量平均分子量であると合理的に理解できること,高分子化合物の平均分子量につき一般に重量平均分子量によって明記されていたというのが本件出願日当時の技術常識であることも,本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が重量平均分子量であるという上記の結論を裏付けるに足りる十分な事情であるということができる。 - 被告(事件①における原告)は,コンドロイチン硫酸ナトリウムの市場は生化学工業株式会社とマルハ株式会社が独占していたところ,マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの平均分子量として当業者に公然に知られた数値は粘度平均分子量であるから,当業者は,本件訂正後の特許請求の範囲の「平均分子量が2万~4万のコンドロイチン硫酸或いはその塩」にいう平均分子量が粘度平均分子量でないと判断することはできないと主張する。しかし,本件訂正明細書には,マルハ株式会社製のコンドロイチン硫酸ナトリウムの記載はなく,ほかにコンドロイチン硫酸又はその塩の平均分子量が粘度平均分子量の意味であることを示唆する記載もないから,上記(3)に説示したとおり,当業者は,本件訂正明細書におけるコンドロイチン硫酸又はその塩及びその他の高分子化合物に関する記載を合理的に解釈し,当業者の技術常識も参酌することによって,コンドロイチン硫酸又はその塩の平均分子量が重量平均分子量であることを合理的に理解できるというべきである。
被告は,マルハ株式会社製の製品に関する記載を削除する本件訂正により明確性要件の充足を認めるのは特許請求の範囲を実質的に変更するに等しく妥当性を欠くと主張する。しかし,本件訂正は,・・・「,マルハ株式会社から販売されているコンドロイチン硫酸ナトリウム(平均分子量約0.7万等)等」を除く訂正(訂正事項5)・・・を含むものであるところ,これをもって,実質上特許請求の範囲を変更したものということはできず,被告の主張は採用できない。
2.結論
以上によれば,本件訂正後の特許請求の範囲の記載は明確性要件を満たすものといえるから,本件審決にはこれを取り消すべき違法があり,原告の取消事由には理由がある。
2019年8月13日更新
エスエス国際特許事務所
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