第1 事案の概要
1.本件は,発明の名称を「ビタミンDおよびステロイド誘導体の合成用中間体およびその製造方法」とする特許権(特許番号第3310301号)の共有者の1人である被控訴人が,控訴人Aの輸入販売に係るマキサカルシトール原薬(以下「控訴人製品1」という。)並びに控訴人B,控訴人C及び控訴人Dの各販売に係る各マキサカルシトール製剤(以下,それぞれ「控訴人製品2(1)」などといい,これらを併せて「控訴人製品2」という。また,控訴人製品1と併せて「控訴人製品」という。)の製造方法(以下「控訴人方法」という。)は,本件特許に係る明細書(特許権設定登録時のもの。以下「本件明細書」という。)の特許請求の範囲の請求項13に係る発明(以下「本件発明」という。)と均等であり,その技術的範囲に属するから,控訴人方法により製造した控訴人製品の販売等は本件特許権を侵害すると主張して,特許法100条1項,2項に基づき,①控訴人Aに対しては,控訴人製品1の輸入又は譲渡の差止め及び廃棄を,②その余の控訴人らに対しては,それぞれ,控訴人製品2(1)ないし(3)の譲渡又は譲渡の申出の差止め及び廃棄を求める事案である。なお,被控訴人は,本件訴え提起後に,本件特許についての特許無効審判において,平成25年9月25日付け訂正請求書により,特許請求の範囲の請求項13の訂正をした(以下「本件訂正」といい、訂正後の明細書を「訂正明細書」という。)。原審は,控訴人方法が本件発明及び本件訂正後の特許請求の範囲の請求項13に係る発明(以下「訂正発明」という。)と均等であることを認め,また,本件発明に係る特許が特許無効審判により無効にされるべきものとは認められないと判断して,被控訴人の請求を全部認容したため,控訴人ら(原審被告ら)が,原判決を不服として,本件控訴をした。
当審における審理中に,本件訂正を認める旨の審決が確定した。
2.前提となる事実
- マキサカルシトール
被控訴人は,活性型ビタミンD3誘導体であるマキサカルシトールを有効成分とする角化症治療剤である商品名オキサロール軟膏・ローションを製造販売している。
活性型ビタミンD3の生理作用としては,古くからカルシウム代謝調節作用が知られていたが,細胞の増殖抑制作用や分化誘導作用等の多岐にわたる新しい作用が発見され,角化異常症の治療薬として期待されるようになっていた。しかし,活性型ビタミンD3には血中カルシウムの上昇という副作用の問題があった。
被控訴人は,活性型ビタミンD3であるカルシトリオールの化学構造を修飾した物質であるマキサカルシトールが細胞増殖抑制作用,分化誘導作用を有しながら,血中カルシウム上昇作用が弱いことを見いだした。すなわち,下記の左図がビタミンD3(非活性),中図がビタミンD3の1αと25位が水酸化して活性化したカルシトリオール(1α,25ジヒドロキシビタミンD3)であるが,被控訴人は,カルシトリオールの22位のメチレン基を酸素原子に置き換えることによって,増殖抑制作用が10~100倍向上し,他方,副作用である血中カルシウム,リンの上昇作用がカルシトリオールよりも著しく弱い物質が得られることを見いだしたものである。この物質がマキサカルシトール(下記の右図)である。
- 訂正発明
ア 訂正発明を構成要件に分説すると次のとおりである(下線が訂正部分である。以下,
構成要件A-1,A-2ないしA-6を併せて「構成要件A」といい,構成要件B-1ないしB-3を併せて「構成要件B」という。)。
A-1 下記構造を有する化合物の製造方法であって:
A-2 (式中,nは1であり;
A-3 R1およびR2はメチルであり;
A-4 WおよびXは各々独立に水素またはメチルであり;
A-5 YはOであり;
A-6 そしてZは,式:
のビタミンD構造であり,Zの構造の各々は,1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく,Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)
B-1 (a)下記構造:
(式中,W,X,YおよびZは上記定義の通りである)
を有する化合物を
B-2 塩基の存在下で下記構造:
(式中,n,R1およびR2は上記定義の通りであり,そしてEは脱離基である)
を有する化合物と反応させて,
B-3 下記構造:
を有するエポキシド化合物を製造すること;
C (b)そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;および
D (c)かくして製造された化合物を回収すること;
E を含む方法。」
イ 本件訂正は,本件発明の目的物質及び出発物質の「Z」を,「ステロイド環構造」及び「ビタミンD構造」のものに限定するとともに,導入される側鎖を下記構造のもの(3-ヒドロキシ-3-メチルブトキシ基。以下「マキサカルシトールの側鎖」という。)に限定すること等を内容とするもので,特許請求の範囲を減縮するものである。
- 控訴人らの行為
ア 控訴人Aは,スイスの製薬メーカーであるE社が控訴人方法により製造した控訴人製品1を業として輸入し,少なくとも,控訴人C及び控訴人Dに対して販売している。
イ 控訴人B,控訴人C及び控訴人Dは,平成24年8月15日,それぞれ,控訴人製品2(1)ないし(3)の製造販売について厚生労働大臣の承認を受け,これらの製品は,同年12月14日,薬価基準収載された。
控訴人製品2が原薬(有効成分)として含有するマキサカルシトールは,いずれも控訴人方法によって製造されたものである。
ウ 控訴人方法は,別紙方法目録記載のとおりであり,要するに,①出発物質Aを,塩基の存在下で,試薬B(1-ブロモ-3-メチル-2,3-エポキシブタン。以下「本件試薬」ということがある。)と反応させて,エポキシド化合物の中間体Cを合成する工程Ⅰ,②中間体Cを還元剤で処理してエポキシ基を開環させて,物質D(マキサカルシトールのトランス体)を得る工程Ⅱ,③物質Dをシス体に転換し,保護基を外して,目的物質であるマキサカルシトールを得る工程Ⅲ,④マキサカルシトールを回収する工程Ⅳからなる,マキサカルシトールの製造方法である。
エ 控訴人方法は,訂正発明の構成要件A,B-2,D及びEを充足する。
控訴人方法は,工程Iの出発物質Aの炭素骨格が,訂正発明の構成要件B-1の引用する構成要件A-6の「Z」のうち,「シス体のビタミンD構造」(シス(5Z)セコステロイド構造)で「1以上の保護・・・の置換基を有している」構造で二つの保護された置換基を有している構造ではなく,その幾何異性体であるトランス体のビタミンD構造(トランス(5E)セコステロイド構造)である点で,訂正発明の構成要件B-1を充足しない。
また,控訴人方法は,工程Ⅰ,Ⅱの中間体Cの炭素骨格が,同様に,シス体のビタミンD構造ではなく,トランス体のビタミンD構造である点で,訂正発明の構成要件B-3及びCを充足しない。
なお,ビタミンD類の基本骨格には,上部の二環から繋がる三つの二重結合(トリエン。二重結合は,下図の二重線で表示されている部分)があり,ビタミンD類には,このトリエン構造に由来する幾何異性体が二つ存在する。「シス体」とは,下図の左側のトリエンの並び方のものをいい,「トランス体」とは,右側の並び方のものをいう。
第2 裁判所の判断
1.訂正発明と均等の成否について
- 均等の5要件について
特許権者は,業として特許発明の実施をする権利を専有し,特許発明の技術的範囲は,願書に添付した特許請求の範囲の記載に基づいて定められ,特許出願人は,特許請求の範囲には,特許を受けようとする発明を特定するために必要と認めるすべての事項を記載しなければならないのであるから,特許請求の範囲の記載は,第三者に対し,特許の独占的,排他的な権利の範囲を公示する機能を有するものである。したがって,特許発明の技術的範囲は,特許請求の範囲に記載された構成の文言解釈により確定されるのが原則である。
しかしながら,特許請求の範囲に記載された構成中に,相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)と異なる部分が存する場合であっても,
①同部分が特許発明の本質的部分ではなく,
②同部分を対象製品等におけるものと置き換えても,特許発明の目的を達することができ,同一の作用効果を奏するものであって,
③上記のように置き換えることに,当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が,対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり,
④対象製品等が,特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから当該出願時に容易に推考できたものではなく,かつ,
⑤対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは,
同対象製品等は,特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして,特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である(以下,上記①ないし⑤の要件を,順次「第1要件」ないし「第5要件」という。)[最高裁平成10年2月24日第三小法廷判決・民集52巻1号113頁(以下「ボールスプライン事件最判」という。)]。 - 訂正発明と控訴人方法との相違
前記のとおり,控訴人方法は,訂正発明の構成要件A,B-2,D及びEを充足するが,同方法における出発物質A及び中間体Cが,シス体のビタミンD構造の化合物ではなく,その幾何異性体であるトランス体のビタミンD構造の化合物であるという点で,訂正発明の構成要件B-1,B-3及びCと相違する。
そこで,以下,出発物質及び中間体にトランス体のビタミンD構造の化合物を用いる控訴人方法が,訂正発明において出発物質及び中間体にシス体のビタミンD構造の化合物を用いる場合と均等なものといえるか,順次,均等の要件を判断する。 - 均等の第1要件(非本質的部分)について
ア 本質的部分の認定について
特許法が保護しようとする発明の実質的価値は,従来技術では達成し得なかった技術的課題の解決を実現するための,従来技術に見られない特有の技術的思想に基づく解決手段を,具体的な構成をもって社会に開示した点にある。したがって,特許発明における本質的部分とは,当該特許発明の特許請求の範囲の記載のうち,従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分であると解すべきである。
そして,上記本質的部分は,特許請求の範囲及び明細書の記載に基づいて,特許発明の課題及び解決手段とその効果(目的及び構成とその効果)を把握した上で,特許発明の特許請求の範囲の記載のうち,従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が何であるかを確定することによって認定されるべきである。すなわち,特許発明の実質的価値は,その技術分野における従来技術と比較した貢献の程度に応じて定められることからすれば,特許発明の本質的部分は,特許請求の範囲及び明細書の記載,特に明細書記載の従来技術との比較から認定されるべきであり,そして,①従来技術と比較して特許発明の貢献の程度が大きいと評価される場合には,特許請求の範囲の記載の一部について,これを上位概念化したものとして認定され,②従来技術と比較して特許発明の貢献の程度がそれ程大きくないと評価される場合には,特許請求の範囲の記載とほぼ同義のものとして認定されると解される。
ただし,明細書に従来技術が解決できなかった課題として記載されているところが,出願時(又は優先権主張日)の従来技術に照らして客観的に見て不十分な場合には,明細書に記載されていない従来技術も参酌して,当該特許発明の従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分が認定されるべきである。そのような場合には,特許発明の本質的部分は,特許請求の範囲及び明細書の記載のみから認定される場合に比べ,より特許請求の範囲の記載に近接したものとなり,均等が認められる範囲がより狭いものとなると解される。
また,第1要件の判断,すなわち対象製品等との相違部分が非本質的部分であるかどうかを判断する際には,特許請求の範囲に記載された各構成要件を本質的部分と非本質的部分に分けた上で,本質的部分に当たる構成要件については一切均等を認めないと解するのではなく,上記のとおり確定される特許発明の本質的部分を対象製品等が共通に備えているかどうかを判断し,これを備えていると認められる場合には,相違部分は本質的部分ではないと判断すべきであり,対象製品等に,従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分以外で相違する部分があるとしても,そのことは第1要件の充足を否定する理由とはならない。
イ 訂正発明の内容- 訂正発明は,マキサカルシトールの側鎖を有するビタミンD誘導体又はステロイド誘導体の製造方法(ビタミンD構造又はステロイド環構造化合物へのマキサカルシトールの側鎖の導入方法)として,従来技術に開示されていなかった新規な製造方法を提供することを課題とするものであり,当該課題を解決する具体的な解決手段として,ビタミンD構造又はステロイド環構造の20位アルコール化合物(構成要件B-1の化合物)を,塩基の存在下で,末端に脱離基を有するエポキシ炭化水素化合物(構成要件B-2の試薬)と反応させることにより,エーテル結合及び側鎖にエポキシ基を有するステロイド環構造体又はビタミンD構造体であるエポキシド化合物(構成要件B-3の中間体)を合成し,その後,還元剤で処理をしてこの側鎖のエポキシ基を開環して水酸基を形成することにより,マキサカルシトールの側鎖を有するビタミンD誘導体又はステロイド誘導体を製造するという方法を採用したものである。
・・・訂正発明の効果とは,従来技術に開示されていなかった新規な方法により,マキサカルシトールの側鎖を有するマキサカルシトール等のビタミンD誘導体又はステロイド誘導体を製造できることと認められる。 - 以上のとおり、訂正発明は,従来技術にはない新規な製造ルートによりその対象とする目的物質を製造することを可能とするものであり,従来技術に対する貢献の程度は大きい。・・・マキサカルシトールの物質特許を有していた被控訴人においても,訂正発明によって,初めてマキサカルシトールの工業的な生産が可能となったものである。
ウ 訂正発明の本質的部分および控訴人方法の第1要件の充足
訂正発明の上記課題及び解決手段とその効果に照らすと,訂正発明の本質的部分は,ビタミンD構造又はステロイド環構造の20位アルコール化合物を,末端に脱離基を有する構成要件B-2のエポキシ炭化水素化合物と反応させることにより,一工程でエーテル結合によりエポキシ基を有する側鎖を導入することができるということを見出し,このような一工程でエーテル結合によりエポキシ基を有する側鎖が導入されたビタミンD構造又はステロイド環構造という中間体を経由し,その後,この側鎖のエポキシ基を開環するという新たな経路により,ビタミンD構造又はステロイド環構造の20位アルコール化合物にマキサカルシトールの側鎖を導入することを可能とした点にあると認められる。
一方,出発物質の20位アルコール化合物の炭素骨格(Z)がシス体又はトランス体のビタミンD構造のいずれであっても,出発物質を,末端に脱離基を有するエポキシ炭化水素化合物と反応させることにより,出発物質にエーテル結合によりエポキシ基を有する側鎖が導入された中間体が合成され,その後,この側鎖のエポキシ基を開環することにより,マキサカルシトールの側鎖を導入することができるということに変わりはない。この点は,中間体の炭素骨格(Z)がシス体又はトランス体のビタミンD構造のいずれである場合であっても同様である。したがって,出発物質又は中間体の炭素骨格(Z)のビタミンD構造がシス体であることは,訂正発明の特許請求の範囲の記載のうち,従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分とはいえず,その本質的部分には含まれない。
したがって,控訴人方法は,均等の第1要件を充足すると認められる。 - 訂正発明は,マキサカルシトールの側鎖を有するビタミンD誘導体又はステロイド誘導体の製造方法(ビタミンD構造又はステロイド環構造化合物へのマキサカルシトールの側鎖の導入方法)として,従来技術に開示されていなかった新規な製造方法を提供することを課題とするものであり,当該課題を解決する具体的な解決手段として,ビタミンD構造又はステロイド環構造の20位アルコール化合物(構成要件B-1の化合物)を,塩基の存在下で,末端に脱離基を有するエポキシ炭化水素化合物(構成要件B-2の試薬)と反応させることにより,エーテル結合及び側鎖にエポキシ基を有するステロイド環構造体又はビタミンD構造体であるエポキシド化合物(構成要件B-3の中間体)を合成し,その後,還元剤で処理をしてこの側鎖のエポキシ基を開環して水酸基を形成することにより,マキサカルシトールの側鎖を有するビタミンD誘導体又はステロイド誘導体を製造するという方法を採用したものである。
エ 控訴人らの主張について
- 控訴人らは,訂正発明は,乙46公報(特開平6-256300号公報)記載の従来の製法が酸化工程を含み,酸化抵抗性が低いシス体を出発物質とすると側鎖導入が効率的に行えないという問題があったため,シス体を出発物質として選択しつつ,それに適合する(酸化工程を含まない。)エーテル結合とエポキシ基の導入順序を見出すことにより,工程数を減少させる利点を享受しつつ,シス体を出発物質とする場合の問題点(酸化抵抗性)を解決した点に本質があるから,出発物質がシス体のビタミンD構造であることが不可欠な本質的要素であり,これに対して,トランス体のビタミンD構造が出発物質の場合には,酸化抵抗性が低いという問題はないし,異性化工程を要するから工程数の減少という利点を享受し得ない旨主張する。
しかし,・・・訂正発明は,・・・乙46公報記載の技術だけではなく,訂正明細書記載の他の従来技術にも開示されていない新規なマキサカルシトールの側鎖の導入方法を提供することを課題として,この課題を解決する手段を提供するものである。そして,乙46公報記載の方法においてシス体を出発物質とすることに酸化抵抗性等の問題点があり,この問題点が訂正発明の場合には生じないとしても,・・・訂正発明の解決した課題を,そのような限定されたものと解すべき理由はないから,酸化抵抗性が低い化合物を出発物質とすることを訂正発明の本質的部分と認めることはできない。
また,確かに,シス体を用いれば異性化工程が必要ないという利点があることはそのとおりであるが,訂正明細書の反応図Cには,出発物質,中間体,目的物質のいずれの段階においても,ステロイド化合物からビタミンD化合物へ転換する経路が記載されており,本件優先日当時,ステロイド化合物からビタミンD化合物への合成方法は,慣用的方法によって実施できたものである。そして,訂正発明は,出発物質として,シス体のビタミンD構造のみならずステロイド環構造の化合物も含んでいるところ,「Z」としてステロイド環構造を選択した場合には,ステロイド環構造をビタミンD構造に転換させるような条件下で紫外線照射及び熱異性化に付し,かくして製造された化合物を目的物質として回収することを含む方法も,訂正発明の一形態として記載されている。すなわち,訂正発明のうち,出発物質の「Z」をステロイド環構造にするかビタミンD構造にするかによって,転換工程を含めた全体の工程数はそもそも異なり得ることからすれば,転換工程の有無による総工程数の違いは,訂正発明の本質的部分とはいえない。
この点,控訴人らは,訂正発明の本質的部分は,ステロイド環構造を有する化合物を出発物質とする場合と,ビタミンD構造の化合物を出発物質とする場合では当然異なるものであると主張する。しかし,特許発明の本質的部分は,特許請求の範囲の記載中に複数の選択肢が記載されている場合であっても,そのような選択肢が許容されていることの技術的意義を踏まえて,特許請求の範囲の記載全体から認定すべきであるから,控訴人らの主張は採用することができない。 - 控訴人らは,化合物の製造方法の技術分野においては,全工程の有機的結合そのものが課題解決のための技術的思想であり,出発物質をシス体とする製造方法とトランス体とする製造方法とは当業者に別個のものとして理解されているのであって,製法の重要な構成要素である出発物質,中間体の違いや,シス体とトランス体との安定性,精製容易性や総工程数の違いを無視して,製法の一部のみを取り出して,本質的部分とするのは誤りである旨を主張する。
しかし,・・・化合物の製造方法であるからといって,常に全工程の有機的結合のすべてが本質的部分となるものとはいえない。したがって,出発物質,中間体に,側鎖導入のための反応に影響を及ぼさないわずかな違いがあることをもって,直ちに本質的部分が異なるとはいえない。
また,シス体を出発物質及び中間体とするか,トランス体を出発物質及び中間体とするかどうかで,一般的には別個の製造方法として理解されており,また,両者には,安定性,精製容易性や総工程数の違いがあるとしても,訂正発明の本質的部分とは,前記ウで認定したとおりの従来技術に開示されていなかった新規な製造方法により,ビタミンD構造又はステロイド環構造の20位アルコール化合物にマキサカルシトールの側鎖を導入することを可能としたという点にあり,当該新規な側鎖の導入方法は,出発物質又は中間体がシス体であるかトランス体であるかによって異なるものではなく,シス体又はトランス体の安定性,精製容易性や工程数の違いも,訂正発明の本質的部分に関わる部分ではない。訂正発明の特許請求の範囲の記載のうち,従来技術に見られない特有の技術的思想を構成する特徴的部分以外の作用効果の点で相違する部分があることは,訂正発明の本質的部分を共通に備えていることを否定する理由とはならない。
したがって,控訴人らの主張は理由がない。
ア 訂正発明における出発物質及び中間体を,控訴人方法における出発物質及び中間体と置き換えても,訂正発明の目的を達成することができ,同一の作用効果を奏するかについて検討する。
イ 訂正発明の第2要件における作用効果とは,ビタミンD構造の20位アルコール化合物を,末端に脱離基を有するエポキシ炭化水素化合物と反応させて,それにより一工程でエーテル結合によりエポキシ基を有する側鎖が導入されたビタミンD構造という中間体を経由するという方法により,マキサカルシトールを製造できることと認められる。
ウ 控訴人方法における上記出発物質A及び中間体Cのうち訂正発明のZに相当する炭素骨格はトランス体のビタミンD構造であり,訂正発明における出発物質(構成要件B-1)及び中間体(構成要件B-3)のZの炭素骨格がシス体のビタミンD構造であることとは異なるものの,両者の出発物質及び中間体は,いずれも,ビタミンD構造の20位アルコール化合物を,同一のエポキシ炭化水素化合物と反応させて,それにより一工程でエーテル結合によりエポキシ基を有する側鎖が導入されたビタミンD構造という中間体を経由するという方法により,マキサカルシトールを製造できるという,同一の作用効果を果たしており,訂正発明におけるシス体のビタミンD構造の上記出発物質及び中間体を,控訴人方法におけるトランス体のビタミンD構造の上記出発物質及び中間体と置き換えても,訂正発明と同一の目的を達成することができ,同一の作用効果を奏しているものと認められる。
エ 控訴人らは,訂正明細書に記載がある効果は,工程数の短縮のみであり,訂正発明の作用効果は,従来技術に比して,シス体を出発物質とした場合のマキサカルシトールの側鎖の導入工程を短縮したことにある,また,工程の短縮としての効率性はトータルとしての製造工程数で決せられるべきであり,総工程数が異なる場合は同じ作用効果を有しない旨主張する。しかし,控訴人らの同主張は,次の理由により採用することができない。
平成6年法律第116号による特許法の改正は,同改正前の特許法36条4項が「発明の目的,構成及び効果」を明細書の発明の詳細な説明の必要的記載事項としていたところ,同改正後の同項,特許法施行規則24条の2により,「課題及びその解決手段」等を必要的記載事項としたものであり,発明の効果は明細書の発明の詳細な説明の必要的記載事項として規定されていない。・・・そして,明細書に「発明の効果」の記載がない特許発明について,一部の従来技術との対比のみにより発明の作用効果を限定して推認するのは相当ではない。
訂正明細書には,従来技術のうち,乙46公報記載の発明について「上記方法は,ステロイド基の側鎖にエーテル結合及びエポキシ基を導入するのに一工程より多くの工程を必要とし,従って所望の化合物の収率が低くなる。」との記載がある。しかし,同記載は,訂正明細書に従来技術として挙げられている複数の発明のうち一つのみについての記載である上,エーテル結合によるエポキシ基の導入という特定の側鎖導入の工程について意図するものであり,これらの工程を含めた方法全体の工程数のことを意図するものではないし,そもそも乙46公報記載の方法は,マキサカルシトールの側鎖を導入する製造方法でもないから,これをもって,従来技術に比して,シス体を出発物質とした場合のマキサカルシトールの側鎖の導入工程を短縮したことが訂正発明の作用効果であるということはできない。また,前記のとおり,訂正発明は,ステロイド環構造をビタミンD構造へ転換する工程をも包含しており,特に転換工程の有無を含めた全工程数の違い(少なさ)を,従来技術との違いとして認識しているわけではないことからすれば,訂正発明の作用効果を,従来技術に比して,マキサカルシトール等の目的物質を製造する総工程数を短縮できることと認定することはできない。
オ したがって,控訴人方法は,均等の第2要件を充足すると認められる。
本件優先日当時,トランス体のビタミンD構造を,光照射によりシス体へ簡便に転換し得ることは周知技術であり,所望のビタミンD誘導体を製造するに際し,トランス体のビタミンD構造を有する化合物を出発物質として,適宜側鎖を導入した後,光照射を行うことによりトランス体をシス体へ転換して,シス体のビタミンD誘導体を得る方法は広く知られていたこと,シス体のビタミンD構造を有する化合物を出発物質とする場合であっても,製造過程で置換基等の導入や保護基を外す際等にトランス体へと転換し,再びシス体へと転換する方法も一般的であったことが認められる。
・・・そうすると,控訴人方法の実施時(本件特許権の侵害時)において,訂正発明の目的物質に含まれるマキサカルシトールを製造するために,訂正発明の出発物質における「Z」として,シス体のビタミンD構造の代わりに,トランス体のビタミンD構造を用い,この出発物質Aを,訂正発明の試薬と同一の試薬Bと反応させて,トランス体である以外には訂正発明の中間体と異なるところがない中間体Cを生成すること,中間体Cの側鎖のエポキシ基を開環してマキサカルシトールの側鎖を有するトランス体である物質Dを得ること,最終的には物質Dに光照射を行いシス体へと転換し,水酸基の保護基を外して,訂正発明の目的物質と同じマキサカルシトールを製造するという控訴人方法は,当業者が訂正発明から容易に想到することができたものと認められる。
したがって,控訴人方法は,均等の第3要件を充足すると認められる。
省略(原判決を引用し、控訴人方法について,均等の第4要件における対象方法の容易推考性は認められないと判断)
ア 第5要件の判断基準について
特許発明の実質的価値は,特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして当業者が容易に想到することのできる技術に及び,第三者はこれを予期すべきものであるから,対象製品等が,特許発明とその本質的部分,目的及び作用効果で同一であり,かつ,特許発明から当業者が容易に想到することができるものである場合には,原則として,対象製品等は特許発明と均等であるといえる。しかし,特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど,特許権者の側において一旦特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか,又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて,特許権者が後にこれと反する主張をすることは,禁反言の法理に照らし許されないから,このような特段の事情がある場合には,例外的に,均等が否定されることとなる(ボールスプライン事件最判参照)。
- この点,特許請求の範囲に記載された構成と実質的に同一なものとして,出願時に当業者が容易に想到することのできる特許請求の範囲外の他の構成があり,したがって,出願人も出願時に当該他の構成を容易に想到することができたとしても,そのことのみを理由として,出願人が特許請求の範囲に当該他の構成を記載しなかったことが第5要件における「特段の事情」に当たるものということはできない。
なぜなら,①上記のとおり,特許発明の実質的価値は,特許請求の範囲に記載された構成以外の構成であっても,特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして当業者が容易に想到することのできる技術に及び,その理は,出願時に容易に想到することのできる技術であっても何ら変わりがないところ,出願時に容易に想到することができたことのみを理由として,一律に均等の主張を許さないこととすれば,特許発明の実質的価値の及ぶ範囲を,上記と異なるものとすることとなる。また,②出願人は,その発明を明細書に記載してこれを一般に開示した上で,特許請求の範囲において,その排他的独占権の範囲を明示すべきものであることからすると,特許請求の範囲については,本来,特許法36条5項,同条6項1号のサポート要件及び同項2号の明確性要件等の要請を充たしながら,明細書に開示された発明の範囲内で,過不足なくこれを記載すべきである。しかし,先願主義の下においては,出願人は,限られた時間内に特許請求の範囲と明細書とを作成し,これを出願しなければならないことを考慮すれば,出願人に対して,限られた時間内に,将来予想されるあらゆる侵害態様を包含するような特許請求の範囲とこれをサポートする明細書を作成することを要求することは酷であると解される場合がある。これに対し,特許出願に係る明細書による発明の開示を受けた第三者は,当該特許の有効期間中に,特許発明の本質的部分を備えながら,その一部が特許請求の範囲の文言解釈に含まれないものを,特許請求の範囲と明細書等の記載から容易に想到することができることが少なくはないという状況がある。均等の法理は,特許発明の非本質的部分の置き換えによって特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れるものとすると,社会一般の発明への意欲が減殺され,発明の保護,奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するのみならず,社会正義に反し,衡平の理念にもとる結果となるために認められるものであって,上記に述べた状況等に照らすと,出願時に特許請求の範囲外の他の構成を容易に想到することができたとしても,そのことだけを理由として一律に均等の法理の対象外とすることは相当ではない。 - もっとも,このような場合であっても,出願人が,出願時に,特許請求の範囲外の他の構成を,特許請求の範囲に記載された構成中の異なる部分に代替するものとして認識していたものと客観的,外形的にみて認められるとき,例えば,出願人が明細書において当該他の構成による発明を記載しているとみることができるときや,出願人が出願当時に公表した論文等で特許請求の範囲外の他の構成による発明を記載しているときには,出願人が特許請求の範囲に当該他の構成を記載しなかったことは,第5要件における「特段の事情」に当たるものといえる。
なぜなら,上記のような場合には,特許権者の側において,特許請求の範囲を記載する際に,当該他の構成を特許請求の範囲から意識的に除外したもの,すなわち,当該他の構成が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したもの,又は外形的にそのように解されるような行動をとったものと理解することができ,そのような理解をする第三者の信頼は保護されるべきであるから,特許権者が後にこれに反して当該他の構成による対象製品等について均等の主張をすることは,禁反言の法理に照らして許されないからである。
イ 控訴人らの主張について
- 控訴人らは,化学分野の発明では,特許請求の範囲が客観的かつ明瞭な表現で規定されており,第三者にはその範囲以外に権利が拡張されることはないとの信頼が生じるから,当該信頼は保護されるべきであると主張する。しかし,前記のとおり,均等による権利は,特許請求の範囲の文言上規定された範囲以外であっても,特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして当業者が容易に想到することができる技術に及び,第三者はこれを予期すべきであり,禁反言の法理に照らし均等の主張が許されないのは,上記特段の事情がある場合に限られるのであって,化学分野の発明であることや,特許請求の範囲が文言上明確であることは,それ自体では「特段の事情」として均等の成立を否定する理由とはなり得ないから,控訴人らの主張は理由がない。
- 控訴人らは,・・・訂正発明の出願人は,特許請求の範囲を記載するに際し,トランス体のビタミンD構造を対象としないことを明瞭かつ客観的に意識して出発物質を決定し,積極的にトランス体のビタミンD構造を除外するという意識的な選択をしたものであり,したがって,本件においては,ボールスプライン事件最判がいう「特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情」があり,また,同判決が均等論を認める根拠として示す「あらゆる侵害態様を予測して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難」という,特許権者を特に保護すべき事情は存在しないなどと主張する。
しかし,・・・訂正明細書中には,訂正発明の出発物質をトランス体のビタミンD構造とした発明を記載しているとみることができる記載はなく,その他,出願人が,本件特許の出願時に,トランス体のビタミンD構造を,訂正発明の出発物質として,シス体のビタミンD構造に代替するものとして認識していたものと客観的,外形的にみて認めるに足りる証拠はないから,控訴人らの主張は理由がないというべきである。 - 控訴人らのその余の主張によっても,均等の第5要件の特段の事情があるものとは認められない。
したがって,控訴人方法について,均等の第5要件における特段の事情は認められない。
以上によれば,控訴人方法は,訂正発明と均等であり,その技術的範囲に属するものと認められる。
2.結論
以上によれば,被控訴人の請求をいずれも認容した原判決は相当であり,控訴人らの本件控訴はいずれも理由がない。
よって、本件控訴をいずれも棄却する。
方法目録
下記の工程からなるマキサカルシトールの製造方法1.(工程 I)塩基の存在下で,下記の出発物質Aと下記の試薬Bを反応させ,下記のエポキシド化合物の中間体Cを合成する工程。
2.(工程 II)下記の中間体Cを還元剤で処理して,エポキシド環(エポキシ基)を開環し,下記の物質Dを得る工程。
3.(工程 III)トランス体である下記の物質Dをシス体に転換し,保護基を外して,マキサカルシトールを得る工程。
4.(工程 IV)得られたマキサカルシトールを回収する工程。
(注:上記の各構造式において,Proは「保護基」の意味である。)
2016年4月28日
エスエス国際特許事務所
エスエス国際特許事務所